20150814 贈る

イワナの夏』を読んだこともあって、渓流と緑を味わいたいと強く思っている。そして一時期、狂ったように毛針を買い集めていた父親に「読んだことあるかもしれないけど、イワナの夏が面白いよ」と送り、翌日返ってきたのが以下のメールだった。

 

やはり親子なのですね。

昨晩、死ぬ前に全ての釣り道具を君に送って(ただし宅急便での着払いで)いいかと、君に連絡せねばと思い、酔っ払って寝込ました。奇遇ですね。95年にロンドンで買ったバンブーロッドをいまも持っていますが、釣りに行くことは皆無です。君が使っても、売っても、私は全く構いません。だから、釣り道具全てを君に贈りたいのです。

お返事をお願い致します。

では。

 

死ぬ、というのは父の表現であってなにか死に直結する病気に患っているわけでもない。(糖尿病ではあるが落ち着いていると思っていた)ロンドンというのはノーマン・マクリーンの『マクリーンの川』を読んでフライフィッシングに目覚め、網羅的に色々調べ上げイングランドで釣りをしたいという一心で僕と弟を強制的に英国へ連れていったときの話。あれはモンタナの話なのになぜイングランドへ行ったのか、いまでもわからない。調べているうちになにかあったのだろう。

「欲しいのですが、どのくらいの量になるのかざっくり教えてほしい」旨をメールすると こんどは葉書が届き、「右目奥の細い血管から出血したために、飛蚊症が強くなり送る荷物のリスト化が進まないので当分の間は勘弁して欲しい」と書いてあった。 その葉書が来て、ああだから弱気になって死ぬとかメールに書いたり、荷物を整理したりを始めているのだなと理解できた。葉書や封筒が父から届くたびに、記念切手の類いの珍しいものが貼られていて、そういうところからも無理にでもモノを減らそうとしているのだと感じる。人間は歳を重ねるにつれ、利他的になっていくらしいのだけど、父親の場合はため込んだモノを手放す、または贈与するという形でそれを成している気がする。

7~8年前、もらったライカについて、お金が無くて売ったことを伝えると父は激怒した。そのときは自分があげた、贈ったモノの使い方までを自分の所有物として、私欲として持っていたのだろう考え、かなり反感をもっていた。

そんなライカを売ってしまった後なのに、ヤフー知恵袋にライカのファインダーの倍率について質問した。その際、回答者の方から「質問内容はさておき、ライカのいちばん良い手に入れ方は親などから受け継ぐことだと田中長徳(ライカ使いの著名写真家)さんも言われてますからね、素敵ですね」なんて書かれていたので、あぁ・・と思った。